君塚良一監督作品『容疑者・室井慎次』2005年09月05日 21時27分03秒

TVドラマ『踊る大捜査線』に続編があるのなら、それは室井管理官のその後の闘いを描くものであるべきだったと思っている。物語はそのようにして閉じられていたのだから。しかし、TVシリーズ放映終了後の過熱人気は、この作品がそのように正しく進化することを許さなかった。

硬直化した組織が、組織自体の維持や延命を目的化することにより、本来為すべき働きを損なっている時、組織の管理に携わる者が、どのようにしてその流れに抗していくのか。こうした地味で継続的な闘いを描くには、イベント的な映画制作は不向きだからだ。

室井管理官をタイトルロールとしたこの映画も、脚本の君塚良一が初めて監督したことにより従来のシリーズとは異なる趣こそ得ているものの、「逮捕された室井管理官」という特殊な設定ゆえに、彼の闘いが「現場」のそれにすりかわってしまい、結果として青島刑事の物語と本質的に同じものになってしまった。室井の個人史やその内面が多少描かれたとしても、マニア的なファンの興味を惹くにすぎないだろう。

警察官僚として組織にとどまることを、青島にも望まれ、自らもそれを選択した室井慎次の、組織の中での闘いを見たかったというのは、ないものねだりだろうか。

8月28日@ワーナーマイカルシネマズ津

オムニバス映画『female』2005年09月05日 21時28分04秒

“Jam Films”シリーズ最新作は、現代女性作家の書き下ろし小説を原作とした5本の短編集。

冒頭の『桃』(篠原哲雄監督)が、配役が間違っているうえに脚色及び脚本も未熟なため失敗作になったが、その他はまずまず。『太陽の見える場所まで』は廣木隆一監督。前作『ヴァイブレータ』は長距離トラックに乗る男女の物語だったが、今回はタクシーに乗り合わせた(?)女3人のエピソード。なかなか楽しい仕上がりになったが短編ではやや物足りなさも。『女神のかかと』(西川美和監督)は原作の魅力をうまく再現。大塚寧々好配役、少年役・森田直幸好演。しめくくりの『玉虫』は、塚本晋也監督の湿度たっぷりの濃密な映像が際立つ。

5作品の真ん中に配置されたのが松尾スズキ監督作品『夜の舌先』。初監督作『恋の門』よりも、大竹しのぶとの二人芝居で上映された『出しっぱなしの女』に近い印象。劇作家としての松尾スズキは、性を描いて生殖に深入りしてしまうところに魅力があるのだが、この映画では「セックスなんてただの性行為だもん」とでも言いたげに、過剰な意味づけを排除したような描き方になっているのが面白い。

9月4日@四日市中映シネマックス

イム・ピルソン監督作品『南極日誌』2005年09月05日 21時28分27秒

大規模なロケーションが売りの冒険アクションなら趣味じゃない、と思っていたのだが、どうも様子が違うらしいので映画館に足を運んだ。

最近続々公開される韓国映画の中には、パク・チャヌクやキム・ギドクの作品等、人間のダークサイドを執拗に描き込むものがあり、個人的には最も興味を惹かれる。このイム・ピルソンという新人監督による大作も、その流れのひとつとしてとらえることができるものだった。ここでは、南極大陸の過酷な自然(ロケはニュージーランドだが)は、人間が知恵や努力によって乗り越える壁としてではなく、人間を精神的に追い詰める、白くて巨大な密室もしくは迷路として描かれる。閉ざされた世界の中で、少しずつ狂いはじめる人間の理性。

惜しまれるのは、サスペンス、ホラー風の味つけが過剰に施されていること。興行的な成功を狙ってのことだろうが、せっかくの主題を曖昧にしてしまっている。そういえば韓国映画では、ラブストーリーにすら必要以上の仕掛けや謎解きが組み込まれていることが多い。興行成績に過敏になるあまり無用な小細工に走りすぎている気がする。

9月4日@ゴールド劇場(名古屋)

PARCO劇場「新」スタンダードシリーズ『ドレッサー』2005年09月13日 18時31分46秒

タイトルの『ドレッサー』とは、いわゆる役者の付き人のこと。この芝居の主人公は、ベテラン・シェイクスピア俳優である“座長”のドレッサーを長年勤めてきた男・ノーマンである。しかし今回の舞台は、座長を演じた平幹二朗が圧倒的だ。

平自身、数々のシェイクスピア劇を演じてきた日本屈指の俳優であり、観客の多くがその舞台に接してきただろう。芝居の冒頭、ノーマンと座長夫人が、まだ登場していない“座長”について話している場面で、すでに我々の頭の中には“座長=平幹二朗”のくっきりとしたイメージが描きだされる。

そして座長が舞台上、登場人物たちにとっての「楽屋」に現れる。劇中で演じられる「リア王」の幕が開くまでが『ドレッサー』の「第一幕」、上演から終演後までの楽屋及び舞台裏の情景が「第二幕」になる。休憩含めて3時間近い芝居でダレる隙がないのは、戯曲がよくできていることもあるが、なにより「役者という特殊」と「老いという普遍」が一体となった平幹二朗の一挙手一投足から目が離せないからだ。

この芝居は1988年・1989年の松竹製作のものを観ているのだが、観客である私自身が年齢を重ねたことによっても、10数年前とは“見えるもの”が変わってきたのだろう。以前はノーマンの視線でしか見ていなかった気がするが、今は座長の言葉もまた身に沁みるのだ。これも、時を経て名作に再会する時の楽しみのひとつ。

もちろん“バックステージもの”としても十分に楽しめる作品であり、西村雅彦演じるドレッサー=ノーマンを始め、座長の周りにいる“芝居熱”に罹った登場人物たちがそれぞれによく描かれている。劇中劇の嵐の場、座長に非協力的だった役者が思わず効果音の雷鳴板に飛びついてしまうシーンでは、今回もまた、涙が出そうになった。

9月8日@PARCO劇場

オムニバス映画『美しい夜、残酷な朝』2005年09月17日 19時23分13秒

アジア3ヶ国の人気監督によるグロテスクホラー3本立。やや悪趣味に過ぎるきらいがあり、好悪は分かれるだろう。

香港編「dumplings」フルーツ・チャン監督。若返りの効果がある秘密の餃子、これが伝統的都市伝説だということがまず恐ろしいが、チャン監督はストーリーをさらにグロテスクな結末へと運んでみせる。完成度はこれが一番。

日本編「box」三池崇史監督。映像優先の静かな仕上がり。寺山修司を想起させる見世物小屋、あるいは球体関節人形、ビニールに包まれるヒロインなど、そこかしこのアングラ演劇的なイメージは私好みなのだが、脚本の練り上げ不足か、もうひとつ引き込まれなかった。惜しい。

韓国編「cut」パク・チャヌク監督。ホラーというよりは筒井康隆的不条理スプラッタ。オムニバスという枠を借りて、パク・チャヌクが力を抜いて楽しみながら撮ったという感じだが、切れ味は鋭い。

日本公開時のプロモーションについて、ネットで見る限り邦題に批判が多いようだ。確かに英題『3 EXTREMES』の方が的確だろう。一方、あまり言及されていないがキャッチコピーは「愛されたかった」というもの。こちらも一見不釣合いなようだが、意外と的を得ている気がしないでもない。

9月14日@津大門シネマ