劇団☆新感線『吉原御免状』2005年09月20日 23時19分09秒

「大人への志」を胸に幕を開けた“いのうえ歌舞伎”第二章、すべりだしは上々である。

初の原作物(隆慶一郎の小説)という枷が、逆に新感線を自由にした。“らしさ”を過剰に求められる人気劇団であればこそ、自己模倣の陥穽から逃れるにはこうした契機が必要だったのだろう。

橋本じゅんがおバカでなくても、粟根が裏切らなくても、右近が「ざます」と言わなくても、面白い芝居を作る力はあるのだ。いのうえ演出も、回り舞台を多用した場面転換や群集処理など、大劇場でのビジュアル面でいっそうの洗練を感じさせる。

後半にはひとつの課題があった。小説では徳川幕府と吉原の隠された秘密が核となるが、そこに力点をおくだけでは舞台は成立しづらいからだ。中島・いのうえ組は、松永誠一郎・勝山太夫・柳生義仙という3人の登場人物の関係性に軸を置くことによってこの課題を乗り越えた。これは演劇の最大の武器である“役者の肉体”に対する信頼の証であり、堤真一・古田新太という最強2トップと新感線初参加の松雪泰子がそれに立派に応えている。

9月18日@青山劇場

下山天監督作品『SHINOBI』2005年09月20日 23時20分44秒

本気で海外マーケットを視野に入れるなら、オリジナリティこそが大切なはず。CGを多用してチャン・イーモウの『HERO』みたいな映像を撮れば世界標準になるというものではないだろう。

最初から原作を忠実に再現することは狙っていないにしても、『甲賀忍法帖』の独創的で緻密なアイデアの多くを捨てたシナリオで中途半端なモノマネめいたものを作られては、「山田風太郎を無駄遣いしやがって」と舌打ちのひとつもしたくなる。

9月18日@渋谷シネパレス

りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピア『冬物語』2005年09月21日 21時21分04秒

『マクベス』『リア~影法師』に続く能楽堂シェイクスピアシリーズ第三弾。物珍しさこそ薄れたが、早くもひとつの表現形式として確立した感さえある。シンプルなシェイクスピア劇もいいものだ。後期のロマンス劇という選択も成功だろう。

劇団AUN所属男優たちの吉田鋼太郎写しとでも呼ぶべきセリフ術が印象的だが、新潟りゅーとぴあ育ち(?)の若い女優たちも口跡が明瞭で気持ちがいい。

9月19日@銕仙会能楽研修所

歌舞伎座九月大歌舞伎〔夜の部〕2005年09月21日 21時22分24秒

今月の歌舞伎座夜の部には、壇ノ浦に滅んだ平家女官の末路を描いた『平家蟹』と、義経主従の逃亡行である『勧進帳』が並ぶ。源平の物語とは、いかに大きな物語の水脈であることか。

その水源が涸れないようにしなければならない。今年の大河ドラマ『義経』が改めて若い世代に源平の物語を伝えた意義は大きい。『平家蟹』冒頭、ドラマでお馴染みの白石加代子の語りで、屋島での「扇の的」の逸話や壇ノ浦の平家の最期をおさらいする趣向も、大河ドラマでの予備知識があればより効果的というものだ。

その『平家蟹』。平成3年、同じく芝翫の玉蟲で観た時も面白かったが、今回も一段と気合十分。プライド高き女官ゆえの妄執を演じて巧い。上演回数こそ少ないが当たり役のひとつと言ってもいいのではないか。脇も魁春・左團次と揃って手堅い。

吉右衛門の弁慶と富十郎の富樫による『勧進帳』。セリフの調子がいい両者だけに、ややもすると山伏問答などテンポよく流れすぎることもあるが、今回は緊迫感が勝りスリリング。「呼び止め」後、富樫は強力に身をやつした若者こそ義経その人であると確信し、同時に彼を見逃すという決断をする。この瞬間に『勧進帳』一幕のドラマが集約されることが鮮烈に示されていた。

所見日:9月19日

三池崇史監督作品『妖怪大戦争』2005年09月26日 19時49分30秒

面白い。上出来のエンターテインメント。

まず、導入部がいい。地方都市の風景と伝統的な祭りの情景の中に、現代の少年が否応なしに直面させられる複雑さと寂しさを、さりげなく描いてみせる。主人公を演じる神木隆之介の、子役と呼ぶのが失礼なほどの繊細な表現力が活きるところだ。

妖怪ワールドに突入する中盤から後半にかけても、物語の運びが緩急に富んでいて小技が効いている。脚本・演出とも細部への目配りが行き届き、バランスがいい。

水木しげるを頭にいただくプロデュース・チーム『怪』に支えられた夥しい数の妖怪たちは圧巻。敵役の悪霊たちの設定も秀逸だ。東宝特撮映画育ちで、昨今のCGを無駄に多用した映画には興醒めすることの多い私だが、ローテク・ハイテク織り交ぜた本作の特殊撮影にはワクワクさせられた。やはり、肝心なのはイマジネーションと過剰な情熱なのだ。

9月22日@109シネマズ四日市