平田オリザ+石黒浩研究室 ロボット版『森の奥』2010年09月02日 23時18分11秒

2008年秋にロボット演劇として『働く私』を試演した平田オリザと大阪大学の石黒研究室が、あいちトリエンナーレ2010でロボット版『森の奥』を上演。秀逸な舞台だった。

『森の奥』は08年春にベルギー王立フランドル劇場のために書き下ろしたものだそうだ。類人猿ボノボの研究者たちを通じて「人」というものを改めて考えさせる戯曲。そこに二人(?)のロボット“wakamaru” が加わってさらに多面的な様相に。

本格的ロボット演劇の世界初演とはいえ、新作ではない分、それを必要以上に押し出したものではなく、ロボット俳優たちがごく自然に物語の中に共存しているのが見事。ロボットたちの演技に、そこにあるはずのない心の動きを感じ取ってしまう。観ているうちに生身の俳優の演技とロボットたちの演技にどんな差異があるのか分からなくなってくる不思議な体験。

終盤の退場シーンでロボットの動きがスムーズさを欠いていたのだが、それが充電切れによるものだったことを平田オリザがアフタートークで明かしてくれた。オリザの厳しい演出のため、“wakamaru”は限界ぎりぎりで演技していたのだそうだ。倒れる寸前まで演じたロボット俳優を観ることができるとは!

本来ロボットたちが演じるはずだったラストシーンは、人間の俳優が代わって演じるバージョン(バックアップとして準備されていたらしい)になっていたが、これはこれで◎。

8月22日@愛知県芸術劇場小ホール

子供のためのシェイクスピアカンパニー『お気に召すまま』2010年09月03日 12時59分51秒

久々に地元で“子供のためのシェイクスピア”を観た。お題は『お気に召すまま』。

9人の役者のうち、3人が初参加ということでちょっぴり新鮮な陣容。最近このカンパニーでの活躍が目立つ若松力がオーランド―を好演。コミカルなパートは全作出演のベテラン戸谷昌宏が奮闘。ヒロイン・ロザリンドは大内めぐみがそれなりに演じていたものの、この役にはもう一つ突き抜けた魅力が必要なこともよく分かった。彩の国シェイクスピアカンパニーの蜷川オールメール版で成宮くんが苦戦したのもむべなるかな。

今なら誰が演じるのが一番いいかな、と思いを巡らせる。これもまた観劇後の一興である。

そうそう、舞台上には松岡泉製作のオブジェが浮かんでいた。

8月27日@三重県文化センター小ホール

つかこうへい原作『広島に原爆を落とす日』2010年09月04日 09時16分41秒

つかこうへいが逝った夏。岡村俊一演出・筧利夫主演による熱い追悼公演。

この作品は最初に小説を読んで、98年にいのうえひでのり演出の舞台を観たが、パンフ解説等によればその祖形は戯曲『戦争で死ねなかったお父さんのために』であり、その後上演を重ねる中でメタモルフォーゼして『広島に原爆を落とす日』となり、最終的に犬子恨一郎を主人公とした小説版として完成したという経緯のようだ。

今回、岡村・筧組は、その完成形である小説版の舞台化に挑んだ(構成はやはりつかの薫陶を受けた渡辺和徳)。よくもまあ、そんな高いハードルに挑んだものだと思うが、つかの意志を継ごうという覚悟と心意気が、いつになくしまった舞台として結実していたことには拍手を送る。ただしラストシーンには違和感。私は「英霊」という言葉があまり好きではないのだ。

この舞台の直接の評ではないが、扇田昭彦氏が雑誌『シアターガイド』(9月号)に寄せた追悼文で、後期つか演劇を「つか歌舞伎」と表現したいのうえひでのりの言葉を紹介していた。なるほど! 前期つか演劇を観ることのできなかった私は、その伝説として聞く舞台と自分が観てきた舞台とのギャップの正体がつかめないもどかしさをずっと感じていたのだが、この言葉でとてもスッキリした。

8月29日@森ノ宮ピロティホール

篠崎誠監督作品『東京島』2010年09月05日 22時20分51秒

桐野夏生原作小説の映画化。女性も楽しめるエンターテインメント、ある種のコメディを目指したようなので、狙いとしては成功しているのだろう。ヒロインを原作どおりの太った40女にせず、長身の木村多江を配したことを含め、原作が備えている重さや深さを犠牲にすることも覚悟の上で映画化したのだとすれば、これはこれで悪くはないか。男優陣の中では窪塚洋介が久々に楽しそうに演じて目を引く。

劇中に流れるサックスの音色が印象的だったので、エンドロールでチェックしたら梅津和時が参加していた。

9月1日@ワーナーマイカルシネマズ津

トム・ストッパード作『ロックンロール』2010年09月16日 00時55分01秒

タイトルのイメージとは裏腹な3時間のセリフ劇。イギリスのマルクス学者とその弟子筋のチェコの青年の交流を軸に、1968年のプラハの春から現在までが描かれる。ロックンロールは、東欧の青年ヤンが愛した西欧発の音楽として物語を彩る。

市村正親や秋山菜津子といった手練れの俳優を揃えたこのカンパニーをもってしても、共産主義国家の混迷と滅亡を見つめるヨーロッパ左翼インテリゲンツィアの苦悩を日本人が血肉化するのは難しい。この舞台でその一端に触れることができたことは価値があったが、上演作品としては成功とは言い難い。改めて同じトム・ストッパードの、この3倍の長さの『コースト・オブ・ユートピア』を生々しく舞台化した蜷川演出の腕力に感嘆。

ローリング・ストーンズやジョン・レノンの音楽と同等かそれ以上にこの芝居の中で重きをなすのがピンク・フロイドであり、そのバンドを初期に去ったシド・ヴァレット(シド自身が幻影のように登場しさえする!)。中学生の頃、彼らの音楽に耽溺した身としては、たまらないものがある。

9月5日@森ノ宮ピロティホール