新橋演舞場八月歌舞伎『石川五右衛門』2009年08月17日 00時00分57秒

20年の新感線『五右衛門ロック』や今年の紀里谷和明監督の映画『GOEMON』等、現在でも様々に取り上げられている石川五右衛門。歌舞伎では「山門」「葛籠抜け」等の上演は人気だが、一本ドカンと来る興行は乏しい感がある。今回、海老蔵が新作としての五右衛門ものに挑んだ心意気は買いたい。

新味を求めて漫画原作者として活躍している樹林伸を起用。五右衛門・秀吉・茶々を巡る物語が彼のアイデアなのだろうが、ありきたりで単純な印象は否めず。編集者&漫画原作者という出自であれば、中島かずきという才能を知っているだけに、これでは物足りない。

その原案を古典歌舞伎の様式に書き換えた脚本や、藤間勘十郎による演出も十分には練り込まれておらず、発端から序幕、第二幕までは実に退屈。團十郎の秀吉との対決となる第三幕になってようやくそれなりの舞台に。茶々を演じた七之助もよくやっている。大詰めは、ケレン味ある演出に徹底してそこそこは楽しめたが、まあその程度。

ひょっとしたら水面下で動きはあるのかもしれないが、海老蔵は早く新感線・いのうえひでのりと組ませてもらえ。成田屋宗家を継ぐ者が、こんなぬるい芝居で満足してもらっては困る。

所見日:8月14日

歌舞伎座八月納涼大歌舞伎〔第三部〕2009年08月16日 15時43分19秒

勘三郎を中心とした様々なムーブメントの基礎を作った歌舞伎座八月納涼大歌舞伎も今年で20周年、現在の歌舞伎座では最後の興行になる。

第三部で上演された『怪談乳房榎』は平成2年、最初の納涼大歌舞伎で評判を取り、その後も8月の人気演目として定着したもの(私は今回が初見)。現在系統が途絶えている実川延若系の演出を勘三郎が受け継いだわけだが、野田版で大成功した『研辰の討たれ』も、延若経由であることを思えば感慨深い。

三遊亭円朝の怪談だが、演出のトーンはあっさりした印象。眼目の勘三郎三役早替わりと、夏らしい本水演出を楽しめばいいのだろう。過去の上演を見ていれば、この20年の勘三郎・橋之助の成長も味わえたのかもしれない。最後にひと幕付け加えて、勘三郎四役目のサービスもあり。

『乳房榎』の前にもう一本、『お国と五平』。谷崎潤一郎の手による“仇討”を主題とした批評的な作品。納涼歌舞伎に出すのは初めてのようだが、これも『研辰』に通じる。屈折した侍・友之丞の三津五郎、一見純朴なのに隅に置けない中間・五平の勘太郎の巧さがこの作品に合っているが、扇雀のお国が不満。谷崎作品であればこそヒロインにはもっと素敵な色香があってほしい。

所見日:8月13日

コクーン歌舞伎『桜姫』2009年07月26日 12時14分44秒

賛否両論渦巻いたらしい6月の現代劇『桜姫』に続いて、コクーン歌舞伎『桜姫』の新バージョンが登場。現代劇版はセルゲイ=清玄を軸とした物語に読み換えた串田&長塚の一つの回答だったが、歌舞伎版では桜姫が物語を奪還した。これは、一にも二にも七之助の手柄である。

前半は苦戦と感じられた。客席に囲まれたほぼ正方形の舞台、これまで以上に前後の動きが求められる空間の中で歌舞伎俳優がもがいている。どんな演出でも歌舞伎味が滲み出る域に達していた07年『三人吉三』、08年『夏祭浪花鏡』に比べ、自由度がさらに増した舞台の中で地に足がついていない。扇雀の長浦など苦し紛れの場当たりの芝居に走るので、小芝居に堕した印象すら与える。かろうじて歌舞伎味を保った橋之助はさすがコクーン歌舞伎の副将である。

後半に入って清玄殺しの場から持ち直す。残月・長浦による清玄殺害が欲得ずくであると同時に衝動的、刹那的な犯罪であることが浮かび上がるあたりにコクーン歌舞伎の本領が見える。舞台全体にようやくエンジンがかかってきたところで、七之助の演じる桜姫の魅力もまた際立ってくる。

素晴らしいのは七之助の桜姫が徹頭徹尾「姫」であることだ。素性怪しき権助も、姫が恋したのなら王子様だ。「私は権助の妻になる」と凛として言い放つ権高さ。女郎に売られ伝法な科白回しを教え込まれようが揺るがぬ品格を保つ。だが同時に姫とは王家あってのもの。権助がお家を窮地に追い込んだ敵と知った以上は決然とこれを討たねばならない。七之助の桜姫はこの瞬間の悲しみが心を打つ。お家再興によるハッピーエンドな大団円の中、恋人を失ったお姫様のうつろな姿。何と哀れで素敵なことよ。

コクーン歌舞伎2009年の冒険は、白井晃のセルゲイと七之助の桜姫を生み出したことで、歌舞伎であるとかないとかを超えた、演劇的成果であったと断じておく。

7月20日@シアターコクーン

松竹座七月大歌舞伎:蜷川幸雄演出『NINAGAWA十二夜』2009年07月07日 00時33分06秒

蜷川幸雄と尾上菊之助が組んだシェイクスピア劇の歌舞伎化『NINAGAWA十二夜』(2005年歌舞伎座初演)が大阪に登場。この春のロンドン上演からの凱旋である。

初演時、全ての観客を驚かせた美しいオープニングは今回も健在。戯曲の主題に沿った鏡を多用する舞台装置が、今回のバージョンでは役者たちを様々な角度から映し出す配置になり、平面的なビジュアルに慣れた歌舞伎のイメージを一新している。

双子の兄妹を演じ分ける菊之助、若手が舞台を必死で背負っていた印象の初演に比べ堂々としたもの。コメディパートを引っ張る亀治郎もさらに存在感を増している。歌舞伎女形としてギリギリのところを走ってみせるクレバーさが光る。

歌舞伎にはないタイプの道化役に苦しんでいた菊五郎も、今回は自分なりの解答を見出したのか、坊太夫(マルヴォーリオ)・捨助(フィステ)の二役を安定感を持って演じていた。

ロンドン版は時間を短縮してすっきりした作りだが、これから先もさらに再演を重ねていくのなら、今一度、歌舞伎ならではの「コク」を注入する工夫があってもいいかもしれない。

所見日:7月5日

御園座陽春花形歌舞伎『通し狂言・雷神不動北山櫻』2009年04月23日 22時22分50秒

20年1月新橋演舞場上演の海老蔵版『雷神不動…』の再演。歌舞伎十八番のうち三つを含むこの作品、成田屋宗家を継ぐ者としての使命感をもって臨んだと語るが、それにとどまらず5役を兼ねる奮闘公演とし、市川家からすれば傍流にあたる猿之助歌舞伎のエッセンスまで取り込んでいるあたりが海老蔵らしい。

発端から序幕。悪のプリンス・早雲と、見た目は美貌の霊能者だが実は100歳を超えた色ボケのジジィという安部清行を演じ分け、客席を埋めた海老蔵ファンを魅了。こういうあたりが、大衆芸能として生まれた歌舞伎の根源に通じる気がする。歌舞伎はもともとミーハーなものなのだ。

第二幕「毛抜」は苦戦。粂寺弾正は父・十二代目團十郎も得意なだけにその路線を踏襲しているが、まだあの大きさは出せない。見慣れた演目のうえ、歌舞伎らしい様々な役が登場するから、脇にもそれなりのウデを求めてしまうのだが、十分な出来だったのは大向こうから「片市ッ」の声も掛った片岡市蔵のみ。

第三幕「鳴神」になってようやく歌舞伎らしさが出る。これは雲の絶間姫を演じた芝雀の手柄。海老蔵相手でも年増に見えないのがよく、鳴神上人との絡みの場面など、独特のエロティシズムあり。

三幕後半の荒事から大詰「朱雀門」までは一気呵成に運ぶ。立ち回りやら大道具やら歌舞伎ならではの見どころに、照明による効果など現代的な演出を加味したあたりは評価が分かれるか。しかし、大薩摩の聴かせどころに効果音をかぶせたのにはちょっとびっくり。最後の「不動」はなくもがなだが、十八番のひとつなのだから、しょうがないだろう。

所見日:4月19日