西川美和監督作品『ゆれる』 ― 2006年08月03日 00時20分53秒
オダギリジョーvs香川照之の一騎打ち。さながら巌流島の闘いである。この共演が見応えのあるセメントマッチになったのは、映画『ゆれる』が、それだけの力のある作品だったからだ。目にもとまらぬ速球でも、華麗な変化球でもなく、バットをへし折るような重い直球。長編映画二作目の新鋭・西川美和監督は、なかなかのツワモノである。
「近しい者の犯罪(殺人)に直面した時、人はどう感じ、どう行動するのか」という主題は、脚本も手がける監督自身が見た夢から得られたものだそうだ。その主題に、兄弟、親子、近親者から地域共同体までを含めた“身内”なるものの有様、都会(東京)と地方との二重構造等、現代日本が抱える諸問題に関わるリアルなエピソードを巧みに重ねていく。クライマックスに向けて、登場人物の微細な感情の「ゆれ」を描き出す場として、法廷という最も無情な場所を選択したことも秀逸である。
「夢」から発しながら、けっして観念的にならないリアリストであること。これが、この監督の最も優れた資質かもしれない。
7月30日@伏見ミリオン座
ホウ・ヨン監督作品『ジャスミンの花開く』 ― 2006年08月23日 23時54分44秒
茉(MO)・莉(LI)・花(HOA)。三人あわせるとジャスミンになる名前を持つ、母と娘、その娘――、三世代の女性の物語をチャン・ツィイーが一人三役で演じる趣向の作品だが、出来はいまひとつだった。
原作小説は、どんな時代でも女性たちの運命が選んだ男によって決まってしまう哀しみを描いたものらしいが、ホウ・ヨン監督は、同じ設定の中で、むしろ女性の自主性の輝きを映画にしたかったようだ。主演女優への思い入れと信頼からだろうが、やはり無理があった。このシナリオでは、ヒロインたちが皆、意思はあっても思慮がないようにしか見えないのだ。
チャン・ツィイーは戦闘的な表情こそ魅力的だが、あさはかさをチャームにできるタイプではないから役者の力で強引に成立させることもできず、せっかく上海近現代史を刺し貫く野心的な構成を持ちながら、情けない「チャイニーズ・だめんず・うぉ~か~」に終わっている。
8月13日@津大門シネマ
森田芳光監督作品『間宮兄弟』 ― 2006年08月24日 00時02分34秒
久々に見た森田映画は、お盆休みのだらけた気分で見るのにふさわしい、いい具合に力の抜けた映画だった。力が抜けているといっても、近頃はやりの「脱力系」とは一味違う。笑いはあるが、それは間宮兄弟の好ましい姿によって呼び起こされる笑いである。
間宮兄弟は、いわゆる「オタク」に括られかねないタイプだが、「オタク」がその語源から、なにがしかのコミュニケーション不全を伴うものだとすれば、彼らは全く違う。色恋沙汰こそ得意分野ではないが、恋をすればそれなりにまっとうなアプローチを試みるし(それがこの映画の主要なエピソードではある)、他者とのコミュニケーションについて病んだ部分はない。仕事についても、地味だが自分の能力、指向に合った職業を選択し、日々の努力も怠らずにきちんと勤め、生活においても衣食住すべて丁寧にかつ楽しげにこなしていて、清々しいほどだ。
「自分探し」とやらに右往左往する現代人は、間宮兄弟を見習うべきなのだろう。
8月14日@津大門シネマ
小田一生監督作品『笑う大天使(ミカエル)』 ― 2006年08月28日 23時52分15秒
川原泉の同名作品(未読)の映画化。コミック原作をいいことにVFXを多用した画面作り、CG画像のうすっぺらさを逆手に取ったような味わいが特徴というところ。
ポストプロダクションに手間暇をかけているのは分るし、それはそれで悪くはないが、映画そのものに対する根本的なアイデアが足りない。
8月20日@伏見ミリオン座
子供のためのシェイクスピア『リチャード三世』 ― 2006年08月29日 00時10分00秒
日本が世界に誇る「子供のためのシェイクスピア・カンパニー」、2006年の全国ツアーは『リチャード三世』だ。
リチャード三世は、シェイクスピア作品を代表する悪役でありながら魅力的な主人公とされている。腕の覚えのある役者なら、一度はチャレンジしたくなるのだろう。そういう意味で「役者芝居」になりがちな傾向がある芝居だ。だが今回は、そのリチャードを、脚色・演出としてこのカンパニーを束ねる山崎清介が演じた結果、役者の魅力に依存し過ぎない、バランスのいい舞台になった。
リチャードの身体的障害を、このカンパニーの芝居を観たことがある人ならお馴染みの、シェイクスピア人形を持った左手に集約させたことも大きい。ここにいるのは稀有なピカレスクヒーローとしてのリチャードではなく、国際社会から町内会にいたるまで、大なり小なり政治的な場において必ず現れる、権力抗争に伴う悪意の象徴としてのリチャードだ。
だからこそ、彼を倒しテューダー朝の新しい歴史を切り拓くリッチモンド伯(ヘンリー七世)の姿は、我々が、憎悪に塗り固められた人類の歴史を超克する希望を託せるものでなければならない。伊沢磨紀のリッチモンドは、その重責を果たしていたと思う。
8月23日@四日市市文化会館