キム・デウ監督作品『恋の罠』2008年06月06日 00時00分44秒

李氏朝鮮の時代、筆のたつ真面目な官僚が、ふとしたことから官能小説に目覚め、覆面作家としてデビュー。おりしも進行中だった自分自身と王の側室との情事を小説に描き大ヒットするが、その秘密が彼女にバレて、さあたいへん――。

艶っぽいコメディかと思っていたが、前半は版元や挿絵画家等、いわば出版チームのとぼけたやりとりがメインで、男同士が下ネタで盛り上がっている話(でも彼らなりに真剣なので、クリエイターものとも言える)。邦題に騙されて観にきたと思しきご婦人方が、途中で席を立ってしまったのもむべなるかな。後半も、恋の情熱よりも男同士の信義の描写の方が際立つ。

韓国映画界を代表する俳優であるハン・ソッキュと、芸達者で知られるイ・ボムスが物語を支え、子役あがりのあどけなさを残しながら妙に色っぽいキム・ミンジョンは彩りの役割。

6月1日@津大門シネマ

クァク・ジェヨン監督作品『僕の彼女はサイボーグ』2008年06月07日 00時02分12秒

綾瀬はるかが素晴らしい。未来からやって来たサイボーグガールを演じて、すこぶるチャーミング。

『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』のクァク・ジェヨン監督が日本に乗り込んで撮った新作で、へたれ青年と爆裂少女のラブコメに、悲恋のスパイスを効かせるという基本構造は彼の十八番(おはこ)。ワンパターンではあるけれど、ここは「こういう話しか撮る気ないもん」と言わんばかりの潔さを買っておく。

さらに、この監督の最も優れた才能が「主演女優を魅力的に撮る」という点にあることを改めて証明した作品とも言えるだろう。前2作のチョン・ジヒョンもなかなかよかったが、今回はSFテイストを加えたことや、監督自身の日本コミック、アニメへのオマージュがあいまって、ひときわ素敵なヒロインが生まれた。主演女優がとびっきり可愛く撮れていれば、それだけで映画は成立するのだ。

隣国の監督にこんな作品を撮られたのだから、日本の監督たちは悔しがらなければいけない。

6月1日@ワーナーマイカルシネマズ津

万田邦敏監督作品『接吻』2008年06月12日 00時00分26秒

秋葉原であまりにもひどい無差別殺人が行われていた折も折、こんな映画を観ていた。

何の縁もない無辜(むこ)の一家三人を惨殺した犯人と、彼に常軌を逸したシンパシーを抱く女、さらに国選弁護人の男を巻き込んで物語は展開する。凶悪犯に恋愛感情を持つというケースは稀でもないそうだが、ここにあるのは恋愛というより極端な自己同一視である。彼女は、この犯人は私と同じだと直感し、行動する。

脚本・万田珠美は、会社で同僚に都合よく使われている地味な独居OLの中に、自分を取り巻く世界を否定する強烈な意思が存在することを鋭く描き出している。犯罪の理由は、我々が思い描きがちな紋切り型の物語の中にあるわけではないのだ。

6月8日@名古屋シネマテーク

熊坂出監督作品『パークアンドラブホテル』2008年06月13日 00時11分12秒

ぴあフィルムフェスティバル出身の新人監督に長編映画を撮らせる「PFFスカラシップ」の最新作。それにふさわしい秀作である。

ラブホテルの屋上にある公園。性が消費される場所の上に、性から切り離された老人や子供が遊ぶ解放区がある――。熊坂監督のアイデアは面白いものだが、そのままでは観念的に過ぎる映画になったかもしれない。だがPFFプロデューサー天野真弓の助言により、ホテルのオーナーである初老の女を主人公にすえたことによって、性や年齢を超えた拡がりが与えられ、深みのある作品が生まれた。チームとしての映画作りが成功した例だろう。

6月8日@名古屋シネマテーク

コクーン歌舞伎『夏祭浪花鑑』2008年06月18日 23時42分13秒

コクーン歌舞伎第二弾として、初めて串田和美演出というクレジットのもとで上演されたのが1996年。その後、2002年から04年にかけて行われた大阪平成中村座公演・コクーン再演・ニューヨーク公演・大阪松竹座凱旋公演の過程でぐんぐん進化して、串田&勘三郎チームの代表作になった演目だ。今回の上演は、ベルリン、ルーマニア公演からコクーン、信州松本公演と続く“世界ツアー”の一環であり、そう呼ぶにふさわしい水準に到達している。

コクーン歌舞伎誕生時の輝きは、固定化された演出を離れた斬新な試みに果敢に挑むことにあった。だがこの作品はそこにとどまっていなかった。12年で6回という再演ペースは、現代演劇はもとより歌舞伎でも稀だ。しかもその度ごとに新たなハードルを自分たちに課し、かつ越えてきた。尽きることのないアイデアを持つ串田和美と、同じ作品に幾度も挑み、磨きあげていくことが身についた歌舞伎俳優のタッグだからこそなしえたことだろう。伝統の継承と革新という、現代歌舞伎が抱える相反する課題を、彼らは今まさに乗り越えようとしている。

座頭・勘三郎の充実振りは素晴らしい。盟友橋之助もそうだが、歌舞伎俳優としての力量が上がっているぶん、どの場面でも濃密な歌舞伎味が分泌され、揺るがない。海外の観客にもドラマが伝わるよう工夫された前半の演出は一段とテンポアップされているが、「住吉鳥居前の場」で現れる主人公・団七九郎兵衛の粋な姿は、見事な歌舞伎美というよりない。歌舞伎俳優以外で唯一出演している笹野高史も、難役・舅義平次を完全に自分のものにし、最大の見せ場である「長町裏」の殺し場は最高水準。なるほど、これは世界に出すべきものだ。さらに後半「団七内」のドラマを経てなだれ込む立ち回りの場面では、勘三郎がこの年齢にして達した身体表現の妙味を堪能させ、圧巻。

今回のサプライズは、若い勘太郎・七之助兄弟がお辰役に挑むこと。通常、団七役者が兼ねるか一座の立女形が担う大役だが、チンピラ一寸徳兵衛の女房なのだからこういう配役もあっていいはず。このあたりの自由な発想が串田ならでは。私が観たのは勘太郎版だが、彼の瑞々しいお辰によって、この作品全体が市井の庶民のプライドの有り様を映し出したものであることが一段と鮮明になった。下層社会の悲劇の中に、私たちはこんなにも誇り高く生きることができるのだというメッセージが浮かび上がり、感動的である。

6月15日@シアターコクーン