つかこうへい作・演出『飛龍伝2010ラストプリンセス』 ― 2010年02月17日 21時23分08秒
「また泣いちゃうんだろうな、俺」と思っていたが、やっぱり泣いてしまった。いつも『飛龍伝』は、私の中の情緒的で弱い部分を突いてくる。
ヒロインである全共闘委員長・神林美智子に黒木メイサ。歴代の神林役者の中でも随一の美貌とカリスマ性。琉球王朝の血を受け継ぐラストプリンセスという設定に負けない舞台姿が第一の見物。
新橋演舞場公演ということでメインキャストにつか芝居初体験の役者も多い中、演出も務める作者・つかこうへいが病に倒れた。稽古場のビデオを見ながらのダメ出しとは、“口立て”が売りのつか芝居としては致命的な条件だ。1990年の富田靖子バージョンから上演を重ねて練り上げられた戯曲の“言葉”と、つか劇団で鍛えられた脇役陣を支えに“つか不在”という逆境をはねのけようとするカンパニーの意志は感じられるが、さすがに前半は苦しかった。特に機動隊員・山崎一平役の徳重聡は、これを持ち役としていた筧利夫の芝居が焼き付いているだけに、痛々しいほど。
だが、後半になって盛り返す。殊勲者はその徳重だ。見せ場の神林美智子・山崎一平ふたりの場面、不器用で体当たりとしか言いようがないが、その真摯な演技に胸をうたれた。うん、徳重って、なかなかいい奴じゃないか。
もう一人のキーマン、全共闘の策士・桂木順一郎に東幹久。チーマー上がり?の中途半端なタレントだったのに、最近では情けない役どころで献身的な仕事をしていると再評価していたが、そうした多面性がこの役にドンピシャ。つかテイストで塗り込められた芝居の中で独自のカラーを出していたのには感心。「革命は奇麗事だ!」の決め台詞も上々。
『飛龍伝』というベースに、沖縄や核の問題を絡ませ、同時代的でありつつ、つかこうへいが一貫してこだわってきたテーマがしっかりとを盛り込まれた骨太な構成も◎。やっぱり私はこの作品が好きだ。
2月13日@新橋演舞場
歌舞伎座二月大歌舞伎〔夜の部〕 ― 2010年02月18日 19時33分11秒
“さよなら公演”もあと三月。今月は十七代勘三郎の追善興行でもある。
お目当ての『籠釣瓶花街酔醒』が、それにふさわしい充実ぶり。序幕・見染めの場がまず良い。玉三郎の八ツ橋の道中が圧倒的な美しさ。次郎左衛門ならずとも心奪われるというもの。勘三郎の次郎左衛門は、すでにこの瞬間から彼が狂い始めたのだと思わせる。
八ツ橋の間夫・繁山栄之丞に仁左衛門。玉三郎には仁左衛門がお似合いという以上に今回の栄之丞はいい。浪宅の場、ヒモ野郎が女が心変わりしたと疑い始めるというだけの場面なのに目の離せない面白さ。ブツブツ言いながら着替えている姿ですら魅せてしまう。廻し部屋の場、舞台が回って現われる、柱にもたれた栄之丞の姿がまた絶品。これが芸の力というものか。
情のある魁春の九重、秀太郎の立花屋女房おきつも良く、満足のいく『籠釣瓶』だった。
他に勘三郎・橋之助らの『高杯』、三津五郎・福助の『壷坂霊験記』。『壷坂』はつまらない話なので観るのをやめようかと思っていたくらいなのだが、三津五郎の巧さでそれなりの舞台になっていた。三津五郎に一度、『籠釣瓶』の次郎左衛門をやらせてみたい。
所見日:2月13日
蜷川幸雄演出『血は立ったまま眠っている』 ― 2010年02月19日 23時47分05秒
ゴツゴツした石つぶてのような手触り。昨年後半のシアターコクーンで『コースト・オブ・ユートピア』『十二人の怒れる男』と、西洋的な知性をベースにした論理的な舞台を組み上げてみせた蜷川が、照れ隠しのように投げつけたのは23歳の寺山修司が書いた処女戯曲、初演から50年経つ作品である。
芝居の冒頭と幕切れ、舞台奥の搬入口を二度も開けて、60年安保を背景にした作品を現代の渋谷に接続させようとする頑ななまでの蜷川幸雄の意志。蜷川の寺山作品上演には寺山シンパからの反発もあるようだが、寺山を伝説にしてたまるものかという蜷川のスタンスを評価したい。
若きふたりのテロリスト、灰男と良に窪塚洋介と森田剛。若くて危なくて自信に満ちていながら屈折した弱さを持つ灰男役は窪塚の個性に良くはまっている。彼がジャニーズと組むと、ジャニ側の魅力が際立つというのもTV『池袋ウェストゲートパーク』での長瀬智也との共演で実証済。今回、少年・良を好演した森田剛との組合せも良かった。かつて「20代の青年が10代の少年を演じるのは70歳の歌舞伎俳優が10代の少女を演じるより難しい」と言ったのは私だが、今回の森田の演技は、その難しい仕事ができるのがジャニーズであったりするのだなとも思わせた。
彼らに絡む良の姉・夏美には寺島しのぶ。森田とのバランスではありかもしれないが、うーん、せめてしのぶちゃんが20代の時に見たかったかな。
闇のリンゴ売りで一攫千金をもくろむ一団にも個性的な役者陣が集結。初期・新宿梁山泊以来の金守珍・六平直政共演が嬉しい。公衆便所でブルースを歌う男には遠藤ミチロウ(スターリン!)。還暦のパンクロッカーが素敵なアクセントになった。
2月14日@シアターコクーン
三浦大輔監督作品『ボーイズ・オン・ザ・ラン』 ― 2010年02月27日 00時34分55秒
テレクラの個室で自分の誕生日を迎えるような青年・田西敏行。絵に描いたような“非モテ”サラリーマンが初めて本気になった、情けなくも健気な恋の顛末。醜態エンタテインメントという惹句が秀逸。
主人公を演じた峯田和伸(銀杏BOYS)が唯一無比の好演。松田龍平、黒川芽以、YOU、リリー・フランキー、小林薫といった個性や実力のある共演陣も充実。監督・脚本に小劇場系の俊英・三浦大輔(ポツドール)を迎えたことも含め、 プロデューサーのセンスがいいのだろう。
ただし、個人的には違和感も残った。共感を覚えるには田西があまりに未成熟だからだ。物語の冒頭で彼が29歳であることが明示されるが、今の29歳とはこんなにも幼いものなのだろうか。これでは大槻ケンジ&ケラが『グミ・チョコレート・パイン』で描いた1980年代の高校生と変わらないじゃないか。
田西は社会人だが実家から通勤している。テレクラ場面の後に映し出される彼の自室は「こども部屋」の延長線上にある。家庭環境は穏当なもののようだが父親の姿は現れず、唯一登場する家族の母親は田西のことを「敏くん」だか「敏ちゃん」だか、幼い子供のように呼んでいる。さらに決定的なのは、物語の後半で「戦い」に臨むことを決意してトレーニングを始めた田西が履く靴が、高校生の時のランニングシューズだということだ。田西は29歳の未成年なのである。主人公が“本気の恋”を経て映画のラストシーンを迎えてもなお、彼はまだ大人になれない。
ともに現在30代半ばである原作者・花沢健吾や監督の三浦は自覚的に現在の29歳の幼さを描いているのだろうが、これがリアルなのだとしたらかなりグロテスクな風景だ。
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「男はいつでも、本気になったときが青春だ」というのもこの映画の惹句だが、“本気になっていないとき”というエクスキューズを用意しているような奴は、そもそも“男”じゃないよね。
2月21日@伏見ミリオン座