子供のためのシェイクスピア『マクベス』2009年09月06日 19時11分45秒

昨年の『シンベリン』再演は観逃したので、2年ぶりに観る子供のためのシェイクスピア。2007年『夏の夜の夢』は残念な出来だったが、今回はこのカンパニーらしい仕上がりで満足。数多く上演されている有名な悲劇を、独自のテイストでシャープにまとめている。

タイトルロールを演じたのは初参加の石田圭祐。腕のあるベテラン俳優なので、ちょっとトウが立ちすぎている気はするが、勇猛果敢な武将が併せ持つ小心さや愚かさを軽妙に表現。現代日本の男たちに共通する、女々しさを感じさせて面白い。伊沢磨紀のマクベス夫人/マクダフのふた役はひょっとして世界初? 三人の魔女たちの使い方もいい。工事現場の食事場面はサービスだろうが、なくてもいいかも。常連キャストは皆いい年齢になったが、2006年から参加している若手の若松力が、微妙に色の違う表現で戦力になってきた印象。彼の演じたマルカムと、バンクォーの忘れ形見・フリーアンスが対峙するラストシーンが新鮮だ。

8月30日@愛知県芸術劇場小ホール

森岡利行監督作品『女の子ものがたり』2009年09月07日 00時28分16秒

都会から遠く離れた田舎町を舞台に、決して裕福ではない環境で育った女の子たちのビターな成長物語を、鮮やかな色彩を交えながら瑞々しく描いた、ユニークなガーリームービー。秀作である。

原作は西原理恵子の自伝的作品。主人公・なつみの小学生時代を森迫永依、高校時代を大後寿々花、漫画家となった現在を深津絵里が演じるという鉄壁のキャスティング。主人公のともだち二人を演じた子役、若手女優の好演もあり、漫画原作の映画化としては大成功の部類だろう。原作にしても映画にしても、私のような観客は、その主なターゲットではないだろうし、登場人物たちに深く共感できるわけでも感情移入できるわけでもないのに、3回くらい泣きそうになった。

原作のクライマックスにおかれたエピソード、主人公が継父の死によって、「何も見ず、何も聞かず、何も知ろうとしなかった」自分を激しく恥じる場面が素晴らしい。大後◎。成長した彼女たちが激しくぶつかり合う映画オリジナルの場面では、波瑠(ともだちの一人・きみこを演じ若手女優)が望外の大健闘◎。ラストシーン、故郷を訪れた主人公がともだちに会いにゆく場面では深津がしっかりと物語を〆てみせた。

8月30日@伏見ミリオン座

松江哲明監督作品『あんにょん由美香』2009年09月11日 20時13分03秒

90年代からAV/ピンク映画界で活躍し、2005年に34歳で急逝した女優・林由美香をめぐるドキュメンタリー。この監督は、彼女より7歳年少で、知己ではあったものの、その主演作を撮る機会はなかった。その悔恨、無念がこの作品を支えている。

鍵になるのは、林由美香の膨大なフィルモグラフィーの中でもとびきりレアな韓国製のB級エロ映画『東京の人妻 純子』(2000年)。一足早い日韓合作として日本で撮影されたこの珍品を発掘(?)したオタク学者や、由美香本を上梓した批評家から始まり、実際に映画に関わった俳優、カメラマン、監督たちを探しあてインタビューしながら、韓国まで飛ぶ。

それと並行して松江は、林由美香の代表作を撮った監督たちも取材する。この女優を愛した映画製作者たちは、松江にとっては師匠であり先輩であり「兄」のような人々でもある。“林由美香と彼女の死”が深く突き刺さったままの彼らは、「弟」のような松江が“林由美香”の映画を撮ることに複雑な反応をみせる。それも含めてこの取材ドラマを撮り切った松江は、ひ弱に見える風貌とは裏腹になかなかにタフな作り手だ。

早すぎる死によって伝説化される林由美香は、強烈な個性の持ち主でもあったのだろうが、見ようによっては、ありふれたチャーミングな女性だったのかなとも思う。わずかばかりに描かれる彼女の生い立ちは、“ひとり『女の子ものがたり』”のようだ。この作品に何がしかの「魔」が描かれているとすれば、むしろ“映画”あるいは“演じる”ことが持つ魔性だろう。

マニアックなネタをいじりながら浮かび上がる、普遍的なドラマの数々。エンドクレジットを眺めながら、「ひょっとしたらこれは実によくできたフィクションなのかも」と思ってしまうほど、ひとつの“物語”になっている。

9月10日@シネマスコーレ

PARCO presents TEAM申『狭き門より入れ』2009年09月15日 00時41分07秒

俳優・佐々木蔵之介率いるユニット・TEAM申を第3回公演にして初見。前川知大の作・演出は前回に続いてだそうだ。“注目の若手劇作家”と書こうとしたが、もう30代半ばなのだな。その前川作品を観るのもこれが初めて。

パラレルワールドな設定が組み込まれた終末モノ。非現実的な物語をちょっとさびれた感じのコンビニエンスストアだけを舞台に描く。確かに、夜のコンビニ空間は「ここ以外の世界がすべて消滅しているとしたら」等という妄想を引き寄せやすいものだ。そのあたりをとらえた感覚は鋭いと思う。だが2時間の芝居としては、劇場がやや大きすぎたことと、こっちが勝手に作家の前評判に期待しすぎたせいか、弱点の方が気になった。

設定自体はそれなりだが、この程度で「SF的」と称されることにまず違和感を覚える(劇評のみならず前川自身も自作をSF的という)。80年代小劇場演劇を想起すれば、野田秀樹にしても鴻上尚史にしても、そうした作品はいくつもあった(生田萬のブリキの自発団はフィリップ・K・ディック作品をモチーフにした芝居が売り物だった)。だが、70年代SF小説ブームを経た80年代のサブカルチャーは、既にそれを骨肉化していることが前提だったから、あえて「SF」という言葉を冠する必要はなかった。今、前川作品がことさらに「SF」とカテゴライズされてしまうのは、90年代以降の等身大演劇の氾濫が、日本の演劇(及びその周辺のジャーナリスト)からイマジネーションを奪い去ったせいではないのかと懸念する。

次に気になるのは、手塚とおる演じる謎の人物・岸が司る「世界の更新」に係るルールを、登場人物たちがひとつも疑おうとしないことだ。これは人気漫画を映画化した『デスノート』でも感じたことだが、あらかじめ与えられたルールを絶対視する傾向が、ある世代以降に特徴的な気がする(知り合いの物理学者の話によると、若い研究者にもそうした傾向があり困っているそうだ)。これを「ゲーム的世界観による反乱する意思の衰弱」と括ってしまうのは乱暴だろうか。

蔵之介や手塚に加え、市川亀治郎、浅野和之といった腕利きを揃えた6人の役者の力で舞台に見応えは与えられてはいる。ことに蔵之介はさすが座頭らしい熱演ぶりだ。だが、役者の演技とともに物語に厚みを与えるはずの個々のドラマはやや軽量級な印象。この世代の作家はこういうのは巧いものなのにな。総じて、残念な出来である。

8月13日@シアター・ドラマシティ

東京芸術劇場野田秀樹芸術監督就任記念プログラム『ザ・ダイバー 日本バージョン』2009年09月26日 21時41分33秒

昨年上演されたキャサリン・ハンター主演のロンドン版を観た時に「日本人俳優による日本語上演だったとしたら、もっと物足りない印象になったのではないか」と書いたが前言を撤回する。優秀な役者が集まれば、文化衝突の面白味がなくても成立するのだな。

野田戯曲の中では必ずしも優れた出来だとは思わない、という点ではロンドン版と同じ感想なのだが、大竹しのぶ・渡辺いっけい・北村有起哉・野田秀樹という穴のない緊密な俳優陣が構築した舞台はやはり一見の価値はあった。6月『桜姫』では実力を発揮できていなかった大竹しのぶが、今回は狂気と詩情を湛えた演技を堪能させてくれる。

9月20日@東京芸術劇場小ホール1